「それではまた日米協会の話をしに来て下さいね。待ってますよ」
「はい、近いうちに必ず伺います」
すっかり細くなってしまわれたお手を握ってお別れした丁度その一週間後の4月15日、緒方さんご逝去の訃報に接した。まさかそんなことがと一瞬自分の耳を疑った。あの日はあんなにお元気そうに日米協会の近況について質問されたり、アベノミクスの功罪について、そしてオバマ大統領訪日後の日米関係についてなど、いつもの様に鋭いご意見を述べられながら2時間近くもおしゃべりを楽しんだのに。あの日が最後のお別れとなってしまったなんて、その事実を今でもとても受け入れられない気持ちでいる。
緒方さんほど日米協会を愛された会員はいない。1954年ご入会以来、会員として理事として、そして最後は副会長として常に協会の将来を真剣に考えてこられ、一本筋の通ったご意見番としてなくてはならない存在であった。私の専務理事時代には不慣れな私を陰になり日向になりサポートして下さり、緒方さんの存在がどれほど私の心の支えになったかしれない。ご一諸にシカゴで開かれた全米日米協会連合の会合に出席したり、知的なテーマを英語で討論するAJS Ogata Forumというプログラムを立ち上げたり、様々な懐かしい思い出が走馬灯のように浮かんでくる。奥様の緒方貞子氏が国連高等難民弁務官としてジュネーブに就任された時、「僕が難民第一号です」とユーモアこめてでもちょっとお寂しそうにおっしゃった言葉が今でも忘れられない。
緒方さん、日米協会は今、新しい会長のもとに新しい歴史を刻みつつあります。
どうかこれからは安心してゆっくりとお休み下さい。
副会長 久野 明子