長い長い選挙がようやく終わりました。
バイデン氏の勝利宣言は実に力強く立派なものでした。トランプ大統領はまだ敗北を認めていないので、落ち着くまでには時間がかかりそうですが大勢は決したようです。トランプ氏のコロナの対応の失敗と個人的な振る舞いのツケが大きかったと思います。米国は片方に行くと振り子は戻る国ということも示しました。
バイデン新政権はかつての米国のように世界でリーダーシップをとろとし、同盟を重視し、予測可能性も大きくなるでしょう。ただ議会上院を共和党がおさえると制約はかかってきます。
事前にメディアが予想したよりはるかに激戦になりました。各州で数パーセントの接戦になりました。トランプ大統領は任期中、移民問題で厳しい政策を打ち出し、マイノリティ重視のポリティカル・コレクトネスなどの行き過ぎ、治安重視なども言い立て一部国民の溜飲を下げました。また世界のために米国がほかの国以上に大きな負担をしているという主張も打ち出しました。これらが米国民の半数近く特に地方の人の深層心理にあることも忘れてはいけないでしょう。
バイデンさんには副大統領時代何度かお会いしました。気さくで明るい闊達な方でした。オバマ大統領にはない議会や外国とのネットワークとしがらみにとらわれずはっきり自分の考えを直言する率直さで政権に貢献していました。日系の故ダニエル・イノウエ議員の親友でした。
バイデン新政権は対中政策も含め見直すかもしれません。しかし日本との関係は重視するでしょう。それは中国ロシアなどと競争していく上で日本が重要だからです。また長い間つちかった国民間の友情もあります。日米協会のような民間交流の活動は、両国間のビルトインされた安定装置として役に立ってきました。両国民間の友情をはぐくんでいくために今後とも努力していきたいと思います。アメリカ国民に祝意を表し、トランプ大統領に感謝を述べ、バイデン次期大統領を温かくお迎えしたいと思います。
日米協会会長 藤崎一郎
ー(参考)「三度目の正直なるかバイデンさん」 藤崎一郎
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「申し訳ないがこの部屋を15分後にオバマ大統領が使うのでこの会合はそれまでに終わらせなくちゃいけないようです。この建物には私の自由になる会議室がなくってね。」ホワイトハウス一階に唯一ある会議室のルーズベルトルームで日本の議員団と会っていたときにバイデン副大統領にメモが入ったときの彼の言である。冗談めかして言ってはいたが米国政界きっての重鎮としては、ちょっぴり照れと口惜しい本音を漏らしたのではないかと同席していた私は思った。バイデンは二回大統領選挙に立候補したのに断念し、当時ずっと若いオバマ大統領を補佐していた。
77歳と最高齢の大統領候補のバイデンを、「眠たげなジョー」とトランプ大統領から揶揄されている。この二人は白人男性、東部出身、高齢、高身長という点は一緒だがそれ以外はまったく対照的である。バイデンは、生涯政治家であり、資産はほとんどないようだが、米議会や世界の指導者に友人が多い。時に激しい面もあるがふだんはにこやかで常識的な人である。本稿では自伝などのいくつかの書物を読んだり聞いたりしたことからから特に印象に残った点を記してみたい。けっして眠たげな人ではなく波乱万丈の人生を歩んできたことがわかると思う。
<人となり、副大統領まで>
1942年ペンシルバニア州でアイルランド系のカトリックの労働者階級の家庭に生まれる。10才でデラウエア州に移る。中高時代、学業成績は並みで吃音に苦しんだがフットボール選手として活躍し、学年代表などを務め指導力、行動力を発揮する。
デラウエア大学の学生のとき友人と浜辺に遊びに行くと二人組の水着の娘が座っていた。一人はブロンド、もう一人は栗毛だった。友人もブロンドが気に入ったというのを聞くや否や、バイデンはさっとそのブロンド娘のところに行き自己紹介して仲良くなってしまう。そして毎日会えるようにわざわざ彼女の住む町に近いニューヨーク州シラキューズ大学の法律大学院に入る。やがて結婚する。卒業成績は中以下だったが弁護士になり市議会議員になる。そして29歳で故郷のデラウエアから上院議員に出馬し、大方の予想を覆し、大物現職議員を破って当選する。1972年のことで米国史上二番目に若い上院の当選だった。ところが当選一か月後、最愛の妻は三人の子を車に乗せて雪の高速道路を運転中、大型車とぶつかってしまう。妻と娘は死亡し、幼い二人の息子ボーとハンターが残される。一か月後の就任を控え、バイデンは悩むが沈んでいてはいけないと上院議員になる。二人の幼子は彼の妹が面倒を見てくれたが彼も朝は学校や幼稚園に送った後、1時間ほど電車に乗ってワシントンの議会に行き仕事が終わると家に直行して子供たちと過ごす日々を続ける。77年に現在の妻と会い、再婚する。二人の息子の長男のボーはデラウエア州の司法長官として活躍しており、将来中央政界に出て大統領をめざしていた。しかし2015年、バイデンが副大統領のときに、脳腫瘍で46才の若さでなくなる。ボーは父親に頑張って大統領をめざしてほしいと念願していた。ボーの病、死についてバイデンは「お父さん、約束して」という本で書いている。この時おカネがかかり家を抵当に入れざるを得ないとオバマに話したら、自分が貸す、抵当はやめておけと言われたとのことである。
上院では外交委員会と司法委員会という重要な委員会のトップを長年つとめ議会の重鎮と目されてきた。この間大統領選挙に二回出馬している。一回目は1988年である。当時、反対党のレーガン大統領が指名した最高裁判事の承認を妨げるための仕事に司法委員長として専念するため断念したと言われる。二回目は20年後の2008年であり、民主党候補指名争いでオバマ、ヒラリーに大きく後れをとり早々と撤退した。2016年の大統領選挙では民主党内でヒラリーが圧倒的に強くてバイデンは立てなかった。だから雌伏30年余、三度目の立候補ということになる。
<副大統領として>
自分よりずっと若く経験も浅いオバマの副大統領になることはバイデンにとって大きな決断だったと思われる。副大統領をどう使うかは大統領次第である。多くの場合副大統領の役目は儀式に参加するなど実質に乏しいものだった。バイデンは副大統領を引き受ける条件を出す。大統領の重要な会議には必ず同席すること、二人だけの打ち合わせの時間を毎週持つことの二つであった。これは実行され全ての重要な会議にバイデンは招かれ、また週一回は二人だけのランチが習慣となった。
バイデンは長い政治経験を二つの形で活かす。一つは議会対策である。オバマは上院議員として一期6年だがバイデンは6期36年のキャリアがあり知己も多い。経済回復法案や政府債務の上限引き上げや医療保険改革についての議論にこの人脈経験を活用した。債務上限引き上げでは共民両党の要人と政権中枢の計25名ほどを集めた会議を10回以上主催した。同会合では決着せず、オバマと共和党ベイナー下院議長に持ち上がって大交渉の末にまとまるが、バイデンのパイプは有効だったと言われる。
もう一つは直言居士の役目である。バイデンはもともと空気を読むタイプというより思ったことズバッを言うタイプとして知られている。オバマ就任直前に共和党のグラハム上院議員と一緒にアフガニスタンを訪問した。カルザイ大統領主催の歓迎夕食会の席でカルザイにあなたは全土を回っておらずカブール市長のようなものでしかないと言い、カルザイがアフガニスタン国民への誤爆が多いことに不満を表明したのに対し、もし米軍がいない方がいいなら撤収すると言い放って食事を終わらせたことはよく知られている。オバマはホワイトハウスの会議の席でも軍人ら専門家の議論にバイデンが費用対効果比などの観点から根本的な疑義を呈するのを促した。たとえば2009年にアフガニスタン駐在のマックリスタル司令官が4万人の増派が必要と主張したのに際し、主敵はアルカイーダでありタリバンの脅威が誇張されている、アフガニスタン全体を対象とする戦略は無理と主張し、増派人数は抑えられた。リビアのカダフィ掃討についてもゲイツ国防長官とともに反対したがこれはオバマの採るところとはならなかった。
<2020年大統領選挙の民主党候補として>
よく4割の岩盤支持層がありトランプが強いという評者がいる。しかし共和民主の両党とも約4割の支持者があるのだからトランプ支持が4割あるのは当たり前だ。どうやって残り2割の中間層の多くをとって各州に割り当てられた選挙人数538人の過半数である270人をとれるかの勝負なのである。
選挙5か月前の2020年6月時点でバイデンはトランプを接戦州を含め大きくリードしている。これはトランプのコロナ禍の初動の失敗、彼の売りだった経済の低迷、いたずらに人種対立をあおってしまったこと、トランプの自己主張への飽きなどからであろう。ではもうバイデンが絶対有利かというとまだそこまでは言い切れない。
バイデンは話が長くトランプと異なり聴衆を沸かせる演説は得意ではない。いくら失言してもあまりダメージを受けないトランプと違ってオウンゴールもあり得る。バイデンは興奮性のところもあるし気が短いと言われる。おそらくトランプ陣営は息子ハンターのウクライナや中国企業との関係をつつき、人種問題、移民問題でも弱く治安、米国民の既得権益を守らない云々と攻撃して挑発するであろう。これらを冷静に捌けるかが勝敗に帰趨に影響を与え得よう。バイデンは、大学院時代にもまた初めて大統領選挙に出た時にもうっかり剽窃問題を起こしたミスがある。また過去のセクハラが指摘されればこうした問題で免疫があるトランプと違いクリーンイメージのバイデンはダメージを受ける。女性副大統領を選ぶと言っているが、もし左過ぎたり、アフリカ系の人の場合、中道が離れてしまう可能性も残っている。選挙は水物である。日本はどちらになってもああよかったと言える形にしておかなければいけない。
<「バイデン大統領」の外交政策>
バイデン大統領になれば、長年上院外交委員長をやり、副大統領も8年やっており、世界のリーダーたらんとするこれまでの米外交に戻る可能性が高い。すなわちNATO日米豪などの同盟国重視、国連など国際機関との関係回復、パリ協定復帰、イランとの核合意追求などいわば予見可能性のある常態に復帰すると思われる。米中関係は人権や軍事もありたちまち氷解することはないだろうが、より安定的に進めようとするのではないか。政権はよりチームプレーを重視する形になるだろう。日本との関係でもしかりであり首脳外交が日米のメインチャネルという状況は終わりを告げよう。バイデンの日本観は、オバマとさほど変わらず、貿易、米軍駐留経費などの分野でとるべきものはとるが同盟国として重視するという姿勢だろう。
米議会でバイデンの盟友は日系人で重鎮だったダニエル・イノウエ上院議員だった。2011年秋、イノウエ議員への勲章伝達式をワシントンの大使公邸で行った際バイデン副大統領夫妻が駆け付け、イノウエ議員への友情と日米関係の重要性を熱く語っていた姿が目に焼き付いている。
ーNPI Quarterly Volume 11 Number 3 (2020年7月発行)より